智恵子のまち夢クラブ
発会20年記念研修旅行
~智恵子光太郎ゆかりの東京横浜の旅~
2024年(令和6年)4月2日(火)・3日(水)
午前7時半二本松駅集合は8名全員揃う。
お天気は快晴
予定の7:59分発の普通電車に乗りまず郡山へ。
予定通り8時24分には到着
ここで8時50分発の新幹線やまびこ126号に乗り込むはず。
だが福島駅の点検用工事車両の事故で運休。
アナウンスは運転再開が見通せない。
これを繰り返すだけ。
通常軽い事故だと30分ほどで再開するが、1時間待っても見通せない。
代表はここは決断と普通電車で行くことにした。
私も過去に青春18切符を使い慣れてはいる。
9時50分の新白河駅向けに乗る。
白河駅付近、小峰城がみえる。
新白河駅で乗り換え、次は黒磯、その次は宇都宮と
これは致し方無し。客は皆同じ新幹線利用者だった。
新幹線なら東京駅だが、普通電車なので上野駅で降りる
天井がいまだに低い。
時間は午後2時半頃、昼ご飯食べてないので
軽くすまそうと讃岐うどん。会場のご馳走お楽しみに腹満杯は避ける。
電車乗り換え巣鴨を目指す。
染井霊園無事到着
何度も来たけど徒歩は初めて
江戸時代ここで開発された桜が染井吉野。
いまや全国に広がっている
外人墓地付近は咲いていた。
高村家の墓所
刻まれた法名
左側薄れた付近に智恵子、光太郎の名が見える
代表奥様二本松からのお花も献花した。
そして一同線香を手向け合掌。
今回のご一行(私が居ない。後で差し替え予定)
この場所は通算で今回私は4回目になりました。
お時間あるときにどうぞ!
ここから直ぐ向の棘抜き地蔵へ
境内内にある洗い観音、後方逗子内は初代。 毎月18日開帳
水をかけ洗ったところが治ると伝わる。
いつも人が絶えないほど。
商店街の手前にあるこの団子屋さん、市内の市会議員の親戚
おやつの団子を買う人がいた。
それから電車に乗り日比谷駅で降りる
目指すは皇居内の楠正成像
高村光雲作と伝わる。
ここで先ほどのお団子を頂く。
前回の研修では何かの大会があり交通規制あり見られなかった。
そして今日の本番、松本楼ある日比谷公園へ
向かう。
遠くに桜田門の看板がみえた。
公園内の桜
松本楼に入ると受付に馴染みの顔がある。
アコーステックギターの北川さんなどと同じテーブル。
定刻になり高村光太郎連翹忌運営委員会代表の小山さん司会で開始
開会宣言の後
光太郎にそして亡くなられた関係者の皆様に一分間の黙祷
続いて高村達氏に音頭を取って貰い献杯
しばしビッフエ形式にて会食
スピーチのトップバッターは一色采子さん。
二本松出身の大山画伯の娘さんで二本松の観光大使も務める
この秋の成田山にあるお父様が今秋二本松で展示されること
宣伝。
二番手が熊谷代表
今回参加した8名、皆を紹介してくれた。
この日、東北新幹線事故があり普通電車で来たことを報告
皆さんから盛大な歓迎を受ける。
会員一同立ってご挨拶。勿論私も。
続いて花巻の光太郎記念館館長さん
失礼ながら今までは何処でも圧倒的に男性でした。
生まれ里は岩手なのでまたいつか行く機会もあるかと思ってました。
なのでご挨拶と思いましたが遠慮しました。
スピーチは続々と続きます。
そして文献、小山さんは豊富に光太郎に関することなら何でも
と言ったら怒られるかな。
勿論「智恵子抄」など貴重な初版もお持ちです。
ジュジュエジェの、のんさんの推薦文
これは読まねばと一冊求めて来ました。
坂本富江さん
智恵子の紙芝居、油井小に寄贈されました。
智恵子が所属した太平画家の宣伝でしょうか、自身も今所属されてます。
そちら方面へ「智恵子のまち夢くらぶ」が出かけると
水先案内人してくれます。
渡辺えりさん
山形出身で舞台監督、劇作家、劇団所有、俳優、歌手など
多面なお顔お持ちの方です。
お父様は光太郎と交際ありそのお話を聞きながら育ったそうです。
隣県なのでいつも愉快にテレビなど拝見してました。
劇団主催されているので一色采子さんと一緒にお芝居も公演してます。
こんな方ともお会いできるのはやはり連翹忌の力かと思います。
一同行って良かったと思いました。
十和田の裸像製作現場、中野のアトリエ保存運動に関わるとか。
これは良いと思いました。
専門家が関わっても知名度がありません。
えりさんならマスコミには名前が売れてます。
保存運動もえりさんなら成功すると、初対面ながら
確信していますと伝えてきました。
メインテーブルに高村達氏と一色采子さん
一色さんとも勿論、お久しぶりとご挨拶。
秋の二本松駅前の美術館で成田山にあるお父様の作品が
この秋二本松でも見られます。
4月6日の市民のお花見会にも来るとの事でした。
私は残念、子守です。
いつもfacebookで着物姿、愛犬、庭の花などアップしてくれます。
台湾にも同行したのでいつも友達感覚です。
終わって夜の松本楼
松本楼の歴史から
(明治時代の文芸活動「パンの会」第1回会合が松本楼で開かれ、若き詩人や美術家たちが集まりました。
また夏目漱石や『智恵子抄』の高村光太郎をはじめとする多くの文人の憩いの場所となり、
彼らの詩や小説の舞台としても反映されています。)
現在も文化の発信地らしくプレバトの夏井いつきさん、他の俳人の大会など
行われています。フォト俳句楽しむ自分の憧れの地でもありました。
大都会の噴水楽しみ
ビル街の明るさに驚きホテルへ向かいました
ホテルは阪急アワーズイン、大井町
ここを選んだのはゼームス坂が近いから。
シングル館とツイン館があり田舎の爺さんは戸惑います。
この時期ホテルは移動に新人社員にそれを迎える季節
宿泊客は圧倒的に新人社員。老人は我々だけ。
四階に「おふろの王様」がありました。
500円
お風呂の王様はこの辺にもあった大衆浴場です。近辺にも数店あります。
泡風呂、マッサージ風呂、寝湯、岩盤椅子など沢山のお風呂がありました。
温泉ではありませんがゆっくり楽しみ、熟睡出来ました。
翌4月3日(木)
朝飯は曲がりくねった通路を歩き私は和食
店の前にたどり着くと10人ばかり並んでました。
混んでいて食べるのに時間かかりました。
でも美味しかったです。
ホテルを8時半頃でました。
ぶらぶらゆっくりゼームス坂目指します。
お天気は曇り空
たどり着くと桜が咲いてました
かなり古木です。
ここに病院があり智恵子が入院してました。
以前来たとき碑を建立した地元の方の説明で
智恵子も見たであろう桜の木が残ってます。
記念の一枚、右端の庭木が伸びたと思いました。
手にしているレモン、お墓に飾ってありました。
今も掃除など行き届いて居ました。
駅に戻り桜木駅へ
最近出来た横浜エアーキャビン
わかりやすく言うとスキー場などにあるロープウェイです。
その入り口
雨が降っていて乗ってみると
かなりの高さがあります。
お子さんなら大歓声です
下りて横浜の赤レンガ倉庫目指します。
花壇が綺麗
赤レンガ倉庫
11時お前、到着したが店が開いてません。
後で理由がわかりました。
1号館、2号館あり10時開店、又は11時開店です。
真ん中の花壇
中に入り見るとでかい建物は飲食街でした。
反対側にも多分色んなお店
しばらく休んで山下公園目指します。
光太郎が乗ったであろう大桟橋に飛鳥Ⅱが停船してました
ここは観光遊覧船乗り場、以前ここに来たとき下りてホテル向かったこと思い出しました。
ベイブリッジも雨に霞んでます
山下公園の花壇、これは花桃かな
チューリップの向こうにベイブリッジ
港町、こちらよりこの花見ると暖かいのが解ります。
赤い靴♪~、点々筋は雨
画像ピントが合ってません
氷川丸を見て中華街へ
一番最初に来たとき小籠を食べた記憶がある。
多分この店
今回の昼食は人気店萬珍楼、字の違いはご勘弁
お昼のお品書き
事前にスープ、これにご飯つきます。
終わってデザート
一階のお店の歓迎の人形
終わって中華街の発展の元祖
隣に学校もありました。
ここから元町へ
日本のファッションの発祥の地、街の様です。
私は臥れ果てて銀行の待合室で昼寝してきました。
石川町から電車に乗って帰路につきました。
帰りは勿論事故もなくスムーズに帰れました。
文責 野里