智恵子のまち夢くらぶ

東京研修の旅

2010年(平成22年)6月20(日)

 心配された雨もなく

無事東京研修が行われました

午前6時智恵子の生家駐車場に集合

一路バスは東京めざしました

当日の参加者は現地集合いれ21名

研修先は高村家墓参、光太郎の母校東京芸術大学、

上野公園ロダン作の「考える人」「地獄の門」など、お二人の

結婚披露宴会場上野精養軒、虎ノ門菊地美術館で

智恵子抄展見学、十和田湖半裸像制作現場アトリエ等

日曜日なので渋滞もなく本日の最初は染井霊園

巣鴨のとげ抜き地蔵のすぐそば、現地参加者

一緒になり墓を探す

高村家の墓参りビルの谷閒

地面の上に大木もあり良く整備された霊園

全員線香手向け手を合わす

廻りに梔の花が咲いていた。

次の目的地は東京芸大、光太郎が父光雲の胸像作成した

そのブロンズ像見学,

他にもゆかりの胸像が多数、脚を止めていると時間が足らない

先を急ぐ

その脚で大きな影響を

光太郎に与えであろうロダンの彫刻見学

考える人

地獄の門など西洋美術館庭

ここでお昼の休憩

上野公園横切り、お二人が結構披露宴おこなった

上野精養軒が昼食会場

林に囲まれた静かな只住まいの白い建物

少しはお二人に近づこうと慣れないランチを頂く

ホットコーヒーやら好きなお飲み物頂いてから

虎ノ門菊地寬美記念 智美術館へ

智恵子抄展見学、「高村光太郎と智恵子その愛」

展示作品は光太郎の木彫青い葡萄、羅漢に始まり

ブロンズ手、裸像、十和田の裸婦像の素描、

あどけない話などの詩稿、墨書された「智恵子抄」、書簡など。

智恵子の作品は切り絵など多数

51歳から52歳の時制作されたもの

この美術館は現代陶芸のコレクター菊地智氏が

その作品を公開するために作られた美術館で

地下にある

太い硝子細工の手すりに委ねて

一歩又一歩日常を離れた空間に広がる世界は

見る物を引きつける

充分満足して階段を登った

そしてもう一つ光太郎が十和田湖の

裸婦像制作したアトリエ見学へ向かう

故中西利雄のアトリエ中西氏の好意

制作秘話、北側太一氏との事

晩年闘病の秘話、裏に流れる自然の事など

お話聞くことができた、感謝!

その裏通りかっては桃園川が流れ、

当時は翡翠も飛んでいたと現御主人の中西氏のお話

光太郎も制作の合間に外を流れる川や

庭の花々に眼を保養して喜んでいたそうだ

個人的には17歳の遠足で拝見した裸婦像

その制作現場に立つ事ができ

感無量自身もその頃に戻ったような気がした

高名な芸術家の作品の現場に立つ事など

滅多に出来ぬ体験、忘れられない良き思い出になった

2010.06.20