智恵子のまち夢クラブ   

智恵子のまち夢くらぶ発会 10周年記念

高村光太郎留学の地 芸術の都パリ研修

   平成26年11月1日 パリ五日目は

午前中は各自自由行動。私と妻は再び

光太郎のアパルトマンへ向かった。

途中モンパルナスの墓地を通っていった。パリは墓石も又芸術的。

二つと同じ型のものがない。彫刻のあるものもあった。

一つ一つが特注で作ってもらうのだろう。墓地の門には管理人もおり、

墓地内はとても静か。小菊の鉢植えが献花されていた。

文明は違っても故人を大切に偲ぶ心は共通だと感じた。

程なくプリミエール・カンパニュー通りへ着き、ゆっくりと通りを歩く。

偶然17番地の住人が出入りしていたので中の様子を少し

かいま見ることができた。日本から何人の人がこの場所を

訪ねたのだろうかとふと思った。この場所から二本の彫刻の近代が

始まったかと言えるのではないか。通りを歩いている光太郎の姿が浮かぶ。

その後、光太郎がよく散歩したというリュクサンブール公園を

ゆったりと散策。家族連れや老夫婦がイスに座ってくつろいでいる。

読書している人がいた。パリはランニングする人が多く

ここでもたくさんの人が走っていた。

園内にはリュクサンブール宮殿があり、現在は上院議院として

使用されている。そして、パリ最古の教会サンジェルマン・デ・プレを訪ねた。

役1500年前に建てられた教会は年月を感じさせる重厚荘厳な

落ちついた静粛な教会であった。午後はモンマルトルにある

サクレクール寺院へ。ピザンチン様式の白亜の殿堂は丘の上に

立ちパリの街並みを一望できる。この寺院も建造当時は

クリスチャンが多いパリ市民から反感を買い不評だったとの説明。

しかし年月を経て美しい建物がパリに溶けこんでいったのとのこと。

そして、多くの芸術家が住み集まったモンマルトル周辺を散策。

石畳の風情ある坂の街だ。絵ハガキで見る石の階段も、レトロだ。

ロートレックが二階で暮らしたという、ラ・メゾンローズは壁がピンク色。

角地に立つ絵になる家、今はカフェになっている。近くにはパリ市内

唯一のモンマルトル葡萄園があり、当時の面影が残る。

テルトル広場には多種多様な画風の絵書きさんが

自分の作品を並べ売っている。似顔絵を画いてもらっている人もいた。

すこし見物して立ち去る。パリは人混みにはスリが多いと聞いているので、

常に緊張感は持っていなければならない。

犯罪の背景には貧富の格差や、人種差別の問題もあるようだ。

もっと安心していられるパリになることを願う。

夜はルノアールの名画「ムーランドウ・ガレット」の舞台となった

同所同名のレストランで夕食。パリ最後の夜に参加者一同

ビールで乾杯した。又、パリ夕唯一のシャンソン酒場(シャンソニエ)の

オ・ラパンアジルで本場のシャンソンを堪能した。シャンソンは日本では

静かなシャレた愛のささやきのイメージだが、民謡のように古くから

フランスで歌い継がれていた音楽だったのです。

シャンソンのイメージが変わり親しみを感じました。

現地に行ってみると新たな発見があるものです。