智恵子のまち夢クラブ   

智恵子のまち夢くらぶ発会 10周年記念

高村光太郎留学の地 芸術の都パリ研修

   平成26年10月28日 パリ二日目

この日は高村光太郎が芸術留学でパリへ滞在中生活していた

アパルトマンへ歩いて向かう。途中マルシェ(市場)を通過。

肉、魚、野菜、果物、衣類、小物雑貨食器等がならんでいた。

生物も野外販売しているので、パリっ子の食卓にのるのだろう。

15分程歩いてカンパーニュ・プリミエール通りへ到着。

本の写真で見た風景が目に飛び込んできた。

光太郎が住んでいた17番地の建物玄関の前で

一同記念写真左より(クリックで別画面へ)

安斎(文)安斎(政)原、モンデンモモ、熊谷(健)熊谷(さ)、吉田の7名

現在も住人がいるので中へは入れずに外観のみの見学となる。

明治41年から42年にかけて役10ヶ月ここに住んだ光太郎の

当時に想いを巡らせた。106年前のパリ、モンパルナス大通りと

ラスパイユ大通りにはさまれたこの通りは割合静かで、当時階上には

詩人リルケが住んでいた。周辺は貧しい芸術家の貸し

アトリエとなっていた。光太郎は、ここで西欧の

近代芸術精神を肌で感じ取ったに違いない。私達は目的の地に

立ったのだ。思えば遠くて長い時空間への旅だ。その後

光太郎芸術に大きな影響を与えた彫刻家ロダン美術館を訪ねた。

ロダンは全作品を国へ寄贈したのでここはフランスの

国立美術館となっている。赤白青の国旗が翻る。

入ってすぐの前にはロダンの代表作「考える人」「カレーの市民」

  

「地獄の門」等が展示されている。中央のビロン館はロココ調の

建物の中には数々の彫刻作品、テラコッタ、デッサン、絵画が

展示されている。近代彫刻の父と呼ばれるロダンの芸術観を

真の当りに感ずることができる。並外れた感受性を持ち

資質と素養を兼ね備えた若き光太郎が、大きな芸術的衝撃を

受けたことは想像するに余りある。巨匠と呼ばれる人も、

革新的な自分の作品を生み出すのには大変な苦悩と

葛藤があったに違いない。真を生み出すのは容易な

ことではないと思う。私はふとロダンの言葉が思い浮かんだ。

「一人の人に深く真実であるならば、全ての人にも真実である」。

又、光太郎も同じ意味の言葉を残している。

「一人の人に極まれば、万人に通づる」。芸術を追究することは、

人間の生き方を追求することでもあるのだろうか?。

そんなことを思った。又、中庭と庭園にも数々の彫刻が

野外展示されており、子供達や家族ずれが作品に触ったり

乗ったりして名作が身近な存在となっている情景に接して、

文化芸術の都パリの底力を感じた。

それから、近代の名画を展示しているオルセー美術館へ。

マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール、ゴッホ、ミレー、シスレー

ゴーギャン、クールベ、ユトリロ、ドガ等近代を代表する

画家の作品を真の当に鑑賞し感銘を受けた。

オルセー美術館は、元オルセー駅舎を再利用しており

歴史的建造物を残し後生に活かす発想は私達にも大いに見習って

ゆきたいと思った。夜はセーヌ河ディナークルーズで夜景を見ながら

夕食を味わった。