智恵子のまち夢クラブ   

智恵子のまち夢くらぶ発会 10周年記念

高村光太郎留学の地 芸術の都パリ研修

   平成26年10月28日 

パリ初日は、光太郎がほぼ毎日通ったという

ノートルダム寺院へ。ゴシック建築の最高傑作と

言われる巨大な大聖堂は、「白い貴婦人」と呼ばれ

荘厳で重厚、凛とした偉容を誇る。光太郎はこの

ノートルダム寺院での感動を「雨にうたれるカテドラル」という

124行の長大な詩を書いている。

寺院は1163年から200年の歳月をかけて完成。

石造りの建築技術と数々の彫刻、三つのバラ窓と言われる

ステンドグラス。聖母マリアを称えて作られた寺院は、

キリスト教の国」フランス人の深い信仰心の積み重ね

を想い歴史の偉大さと重さを実感した。寺院は

世界遺産に登録されている。又寺院の前には

パリのゼロ基点(ポワン・ゼロ)の表示板が石畳に埋め込まれていた。

ここがパリの全ての基点となっているとの事。現地ガイドの

ムッシュムラカミ氏の説明では寺院のある

シテ島に人が住み始めたのがパリの起源との事。

シテ島はセーヌ河の中州になっており、天然の要塞として

パリ原人は外敵から身を守ったようだ。ヨーロッパも昔は、

日本の戦国時代のように領土(生存権)

の分取りの時代があったのだった。これは生き物としての

人間の宿命なのでしょうか?

現代でも世界中のあちこちで紛争や緊張がある。

私達は、智慧と博愛でこれらの難題を解決してゆかねばなりません。

生きるということは簡単ではありません。お互いの立場を理解

し合うのが大切だと思います。コミニュケーション大切です。

その後パドビュス(水上バス)でセーヌ河からパリを観光。

建物も街並みも、まるで中性の風景を見ているように

どこも絵になる。芸術家がパリを目指すのも納得出来る。

川岸にいるパリ人々も思い思いの過ごし方で歩いたり

座ったり、話しをしたり、走ったりと、とても個性にあふれていた。

イエナ橋下で船を降りてエッフェル塔へ。

エレベーターで最上の第3展望台へ登る、276メートルの

高さからの眺望は圧巻であった。1889年のパリ万博に

合わせフランス革命100周年記念として建造された。

設計者のギャスターヴ・エッフェルの名をとって名づけられた。

当時、白い石造りの建物が多いパリの町の景観に

鉄の塔は似合わないと大反対があったという。

しかし、今ではすっかりパリのシンボル的存在となり市民に

受け入れられた。塔の色調は街並みに合う木立の色とし

先端にゆく程淡い茶系色となっている。

鉄の刺繍とよばれる鉄の芸術品は圧倒的迫力で立っていた。

そして、メトロ(地下鉄)で凱旋門へ。

シャルルドゴール広場に建つ門はフランス軍の勝利と栄光を

讃えるための建造物で50メートルの高さ。広場から12本の

大通りが放射線状に伸びる。門下には無名戦士の墓が

あり毎日午後6時30分に退役軍人と戦争被害者団体によって

追悼の炎が点火される。シャンゼリゼ大通りは、凱旋門からオベリスクが建つ

コンコルド広場までの役2キロメートルの長さ。

世界中の有名ブランドの店が軒を連ねるパリを代表する通り。

幅は100メートル歩道は両側に30メートルづつ、あまりの広さに驚く。

パリはどこでも歩道が広く、人間中心の待ちだと思った。

並木身と道とネオンがマッチしてシックで華やかな街でした。