智恵子のまち夢クラブ
高村智恵子生誕130年高村光太郎没後60年記念事業
智恵子講座 2016
高村智恵子に影響を与えた人達パート2
第6回 「美の同志 高村光太郎」
講師 宮川菊佳さん(ギタリスト・光太郎研究者)
とき 11月20日(日)午後一時半 ところ 福島県男女共生センター
開始に先立ち熊谷代表より
今回の講座の大きな流とテーマに説明あり
今回の講師について紹介ありました。
宮川菊佳さん、40年来の光太郎&智恵子研究家でもあり
フラメンコギター奏者でもあります。
恐らく30年前以上、日本で智恵子抄にギター演奏は初めてだったことでしょう。
今回は朗読に越田夏記さんがご一緒でした。
普段はフリーナレーターしてますがいろんな分野の語りをしている方だそうです。
早速バトンは宮川さんにわたり講座の開始です。
とは入っても今回はギター演奏での誌の朗読が入る「智恵子抄」が中心です。
その前に光太郎、智恵子の略歴を簡単に紹介され
光太郎は祖父に連れられ浅草界隈で随分遊んだそうです。
その土地のテキヤで弟分は山梨では大親分だったそうです。
なのでその辺の興行筋は無料で入れたとか、後々の作品や世間を見る目を
きっと養ったことでしょう。やがて光太郎は留学し帰ってきた
どちらかと言うと都会のセンスが光太郎の世界
一方智恵子は造り酒屋の生まれで、大学時代気の強いところも見せながら
新しい女性像を作ろうとしたのかも知れない。
がどちらかと言う自然派だったのだろう。やがて二人が接近するのが
智恵子に縁談が持ち上がり実家に帰った
その時発表された詩が「N-女史に」(クリックでユーチューブへ)
それを切っ掛けに二人は出会う様になる
智恵子は光太郎に会うために車夫のたまり場の前を通った
それが「人に」
そして「深夜の雪」これは光太郎のアトリエから見た景色
恐らく二人してみた時間を伴にしてみた景色
やがて二人は結婚、上野精養軒で大正3年(1914)結婚披露行います。
そして一緒に生活します。
一般的に二人の生活は貧乏と言われてますが、光太郎は既に文壇など
あらゆる場で活躍してました。
近くに居る人がみた食事風景はヨーロッパ風ですでにマヨネーズなど
使っていた様で豪華。
だが一般的に芸術家はハングリー精神で作品仕上げる傾向にあるとか。
淫心は説明しにくいけれど
その頃の智恵子は女で有る事を常に忘れないと、言っている。
光太郎と、智恵子の見ている景色は違ったのかもしれない。
やがて智恵子は精神を病んで光太郎だけを見ていたのかも
そして化粧もせずに、そこに光太郎は何を見ていたのか?
次にあどけない話ですが、いろいろいう人もいるが
素直な鑑賞で良いのではないか
治療中の智恵子
智恵子亡き後に
講座後半時間が迫って最後に最も有名な
フラメンコギターの調べの中の「智恵子抄」
朗読も素晴らしく、たっぷりと晩秋の一時楽しむことが出来ました。