智恵子のまち夢クラブ   

智恵子講座 2022

テーマ「智恵子抄」全作品を熟読する」パート1

~その背景と意味を読み解く~

第1回 「智恵子抄」の誕生と背景

とき 10月10日(祝) 午前10時~12時30分
ところ 二本松市市民交流センター

1 高村光太郎と智恵子履歴の概略
(年譜と資料の参照)

2 高村光太郎の美意識と芸術観
・緑色の太陽
・自分と詩との関係
・彫刻十箇条
・美
・詩精神

3 「智恵子抄」以前の高村光太郎の主な作品

彫刻 木彫「兎」 ブロンズ「獅子吼」 「光雲還暦記念像」

詩 「値付の国」 「父の顔」 「さびしきみち」 「道程」

水彩画 「女」

4 二人の実人生から生まれた智恵子との詩

5 詩集「智恵子抄」の誕生
(龍星閣版「智恵子抄の50年」参照)

第2回「人に」から「郊外の人に」まで

とき 11月20日(日) 午前10時~12時30分

ところ 二本松市市民交流センター

プロローグ 「智恵子抄」予備知識~直前の智恵子と光太郎~
(結婚披露宴1914年(大正3年12月22日) 光太郎31歳智恵子28才)
前回、光太郎は「智恵子抄」編むつもりはなく、その時の心情を正直に作品とした。
流星閣澤田伊四郎氏の働きかけ

 1)芸術留学から帰国後の高村光太郎
 1906年(明治39年2月33歳)~1909年(明治42年7月26歳)
(デカタン パンの会 光雲還暦記念像)
1909年(明42)~1910年(明43)26才から27 1944年(明44)7月28才

2)その頃の長沼智恵子(太平洋画会研究所1907年(明治40年21才)
 青鞜「表紙絵」1911年(明治44年9月25才)

3)出合い(小橋三四子、柳八重を通して光雲の離れアトリエで)
1911年(明44年12月 光太郎28歳 智恵子25歳

4)光太郎のアトリエ完成で 智恵子グロキシニアをプレゼント
1912年(明45年6月 光太郎29才 智恵子26才

5)智恵子に郷里で縁談の真相
1912年(明45年7月 光太郎29才 智恵子26才

6)読み解くポイント(「智恵子抄」は美の求道者同志の愛の軌跡)

7)「智恵子抄」は大きく分けて5期に分かれる
(求愛期1~6 熱愛期7~11 精進期12~19 闘病期20~25
別離追慕期26~29 「智恵子抄その後」追想期
*智恵子 福島の幡ナツ(旧制小松)}明治病院訪ねる(明治45年2月頃)

1 「人い」(原題N女子に 明治45年7月25日 「劇と詩」

                                                  *明治45円7月29日 大正岩塩7月30日

2 「或る夜のこころ」 (大正元年8月18日 「スバル」

3 「おそれ」 (大正元年8月 日 「スバル」

*光太郎ヒュウザン回転作品制作の為犬吠咲きへ 智恵子合流(8月下旬~9月上旬)

4 「或る宵」 大正元年10月23日「朱欒」(ざんぼあ)
・宵=日が落ちてまだ間もない頃、又は夜中までの間(広辞苑)

*智恵子妹セキと一緒に雑司ヶ谷で共同生活する(明治44年6月から)

5 「郊外の人に」 (大正元年11月25日「朱欒」)


第3回「冬の朝のめざめ」から「晩餐」まで

とき 12月18日(日)  午前10時~12時30分
ところ 二本松市市民交流センター

6 「冬のめざめ」 (大正元年11月30日「抒情詩)
犬吠埼から帰京後の作品(求愛期)


*智恵子新潟の旗野スミ宅に滞在(大正2年1月から2月)

7 「深夜の雪」 (大正2年2月19日「詩歌」)


*智恵子沼津の上野(旧性大熊)ヤス宅へ大火見舞いで
楠の木」プレゼント(大正2年3月)

8 「人類の泉」 (大正2年3月15日「詩歌」)
熱愛期


*光太郎生活社展示品製作の為上高地へ
智恵子合流(大正2年8月~9月)婚約

9 「僕ら」(大正2年12月9日「我等」)
熱愛期

10 「愛の嘆美」(大正3年2月12日)
熱愛期
*嘆美=感心してほめること(広辞苑)」

11 「晩餐」(大正3年4月25日「僕等」
熱愛期
大正3年8月27日「僕等」9月号に発表「淫心」

◎第1回から第3回までのポイントまとめ
・智恵子から光太郎と会う(出合い、グロキシニア、縁談、犬吠埼、上高地)全て智恵子が主導した。
・作品は光太郎のその時の心情を詩にした。
・「智恵子抄」は澤田氏の熱意と光太郎の決断で出来た。

◎第1回から3回までの皆さんの感想
・5つの期に分かれる
・年齢により内容が変わっていく(人生体験)
・理想と現実のギャップ

来年度へ続く

ところ 二本松市市民交流センター

 文責 野里