智恵子のまち夢クラブ   

第14回智恵子生誕祭

「智恵子ゆかりの地と二本松戊辰150年バスツアー」

とき 4月30日 ところ 智恵子純愛通り記念碑前

今年は智恵子没後80周年なので記念事業の一つとして

例年よりスタイルと規模拡大して行いました。

今年は桜も早く前日も真夏日、今朝もそれに近い気温と万全の用意のもと

定刻8時半より開会セレモニーを行いました。

司会は会員の齋藤さんです。

最初に恒例の智恵子抄を全員で歌いました。

三番まで声高らかに歌いました。

次に代表の熊谷から歓迎の挨拶です。

引き続いて「智恵子純愛通り」記念碑説明して頂きました。

その後会員のわたし野里が今日のコースを説明しました。

全員で記念写真です。


この日の参加者は名取市、福島市、郡山市、田村市、保原町

それと二本松市内から初めての方も含め参加して頂きました。

今回は特別企画なのでメインポイントの智恵子生家へ向かいました。


初めての方もいるので全員でここでも記念写真です。

生家二階は特別公開中で智恵子の部屋が公開されてます。

お出かけの方は日程確認してお出かけください。
智恵子の部屋伝統のソケットです。 
その他写真パネル、系譜などが展示されてます。

客間から庭の躑躅も奇麗でした。

記念館では実物の紙絵が10点展示中です。

勿論他の展示品は通常通りです。

記念館裏口から智恵子直筆のある

漆原神社へ向かいました。

智恵子も通ったであろう階段を上ります

ここは昔二つの神社があったようです。

境内の「熊野大御神」の碑が直筆と言われております。

さらに階段をあがり彫刻の丘目指します。

ここにはブランコなども整備されてます

数体の彫刻が並んでます。

通り抜けた地点に「道程」の碑

会員の野地さんが道程を朗読しました。

その前の広場にジシバリが咲いておりました。

次が樹下の二人の蔵石山です。

西に安達太良山

東に阿武隈川です。

地理が不案内では見つけられません。

安達太良山と阿武隈川が一直線上に鞍石山を中心に東西の配置になってます。

これを見つけられなくて光太郎の創作とある方は言っていたそうです。

ここでは樹下の二人を

会員の日高さんが朗読しました。

その樹上に桜の花。
まさか野草フアンを自認している私もこんな事は初めて見ました。

今回はここからバス移動です

次の予定地は長沼家の菩提寺満福寺です。

弁慶と義経がここでご飯をご馳走になったと言う謂われが残ってます。
遠方の方に献花をお願いし 
全員で線香手向けました。

レモン哀歌を 会員の齋藤さんが朗読しました。

バスで油井小学校へ移動しました。

 

始学の松が残り傍らに二宮金次郎の像があります。

普通は薪を背負っておりますが、ここのは鍬を手にしています。

智恵子はこの小学校へ通いました。

すぐ近くに旧役場跡があります。

ここで再びバスに乗り今回はここからバス移動です目指します。

栗舟の渡しがあった場所に橋が出来ました。

和紙の里で安達太良山がよく見える場所です。


折り鶴をモチーフにした金属製のオブジェが欄干に飾ってあります。

再びバスでふるさと村へ向かいました。

ここで昼飯休憩です。

休憩後に霞が城へ向かいました。

記念写真を撮りガイドの鴫原さんに

案内して貰いました。

二本松藩の紋所等の説明を聴き、石垣の説明もして貰いました。

勿論少年隊についてもいろいろ聞くことが出来ました。

再びのバスで天守台へ向かいました。

畠山氏が築城したこと

奥州探題だったことなど見晴らしを確かめ乍ら

少年隊の丘へ向かいます。

 シャガや

れんげ草が奇麗に咲いておりました。

直ぐ下の智恵子抄詩碑、何故ここにしたのか疑問が残るなど

選定当時に想いを馳せて

この地では「あどけない話」を熊谷さつきさんが朗読しました。

次に

見晴台の土井晩翠歌碑へ下りました

先ほどの箕輪門から笠松経由してくるとここへ着きます。

またバスで少年隊の眠る大臨寺へ向かいました。

ここでお寺の名前の由来聞き成る程と思いました。

少年隊士の墓へお線香ともしました。

歴代藩主のお墓を見学しました。

この後智恵子の生家から運んだと言われる藤
拝見しましたがご覧の通りでした。

手前は良き案配で

あたりに甘い香りが満ちておりました。

この後振り出しの祈念碑前に戻り

ラッキープレゼント楽しみ無事散会となりました。

 文責 野里