智恵子のまち夢クラブ 

~テーマは高村智恵子に影響を与えた人達~

智恵子講座15’第二回

2015年11月15日 午前10時より、二本松市の男女共生センター4F軒主室で

「油井小学校と福島高等女学校の先生達」

のテーマのもとに講師は小島喜一氏です。

小島氏は二本松市生まれ、会津工業、郡山商業、須賀川、福島女子高など

多くの学校で勤務され、地元の安達高校の校長も努めた方です。

福島大では東洋史専攻されました。

福島県中国交流史学会々長です。

智恵子略年譜今までも見てきましたが、今回のレジメは大変良く出来ていて

自分の娘さんも福島女子高の教師で、生徒に智恵子の事を話すように

校長から言われその資料はかなり集めたそうです。

それを利用されたのかもしれません。

その資料によると

tiekonenpu.pdf へのリンク

一六歳の時の同級生加藤輝の話しとして「男女を通じ首位の成績」だったこと

女子高には三学年に編入学した事など

今までも聞いたり見たりしてはいたが解りやすく聞くこと出来ました。

そして今回初めて解ったが二本松にも光太郎と親しく話した人が

いた事も初めて知りました。その人の名は加藤哲壽。

俳句もすこし囓る私もその人が明治、大正、昭和と通じ全国的に

知られた俳人とはまったく解らなかった。

同じく短歌についても造形が深く「二本松藩史」の編纂委員でもあったとか。

そしてもっと興味深いのへ小島氏はこの人と交流があった事。

祖父が親しくしていたから出入りしていたそうです。

そして有名な「蝉」、「指」など作品が無造作に置かれ

触れていること、他の文人の直筆の書簡などがあった事など

衝撃の事実を聞くことができた。

しかし残念なことにその後の官吏の不明で遺品が売られてしまったとの事だった。

また光太郎が花巻より二本松に疎開したかったとの話しも

今回初めて聞きました。

残念ながら私は他のイベントでここまで

惜しむらくは録音機持ってこなかった事。

もう一度機会があれば是非同じ内容でも良いから聞いて見たいと思った。

前回に続いてこんなに身近に、深い話しが聞けるとは思ってもいなかった。

なお「高村光太郎連行基運営委員長のブログ」でもこの事触れているので

参考にされて下さい。

2015/11/16