智恵子のまち夢クラブ
発会10周年記念パーテイ-
平成26年12月21日、アーバンホテルにおいて
午後三時半から、菅野ミチ子さんの司会で開始しました
開会に先立ち記念写真撮影しました
(クリックで別画面に大きなサイズ)
開宴の言葉は熊谷代表で
来賓に参加の感謝を申し上げ
智恵子光太郎に学び、自分の心を耕しながら
智恵子生誕の地にふさわしい郷土の為に活動し
智恵子光太郎に関わった人達も今後の人生に
悔いの無いよう歩みましょうと挨拶されました。
次に来賓として新野 洋市長から
祝辞を頂きました。市長就任クリスマスで1年、一緒に祝いたいとありました。
花巻から10周年と言うことで紙絵が多数応募ありました。
今後も更に交流を深め、智恵子生家を大事にし
共に活動しましょうと挨拶ありました。
乾杯の音頭は、二本松教育長小泉さんでした
その後しばらく祝宴になりました。
ここよりマイクは代表へ渡りました。
ゲストスピーチの一番手は、レモン会会長の
渡辺秀雄さん智恵子の里レモン会会長
から20年前の草創期の事を話して下さいました。
智恵子の菩提寺のある和尚から50年以上も過ぎているから
むしろレモン忌もお祝いと思ってやった方が良いことなど
お互い足りない分を補い合いやっていこうとありました。
次は純愛通りにある記念碑の石を提供された
安田勝男さんです
智恵子の生家の近くに住んでいるが、生家が保存される以前
そこに住んでいた安田さんとは同級生でよく遊びに行った
酒水引いてあり大きな柄杓に驚いた。家にも今も花霞の
徳利がある。当時すでに酒蔵の屋根などは崩れかかっていた
時には安田さんは突然観光客が入ってきて驚いたなど事など
貴重なお話聞けました。
次はその記念碑前にある椅子寄贈された
ロータリークラブ会長の野地トヨ子さんです
いろんな事業やっているが、モンデンモモさんの歌でこの
記念碑の事を知り椅子を寄付をする事ができた。
今後も何か出来たらと思う。と話されました。
次は講座講師でもあった安斎一男さんです
記念碑設立時の二本松市の建設部長努めてました
代表とは中学生の同級生で今も「寅の子会」一緒とのこと
あるとき床屋へ行ったき、現在の地へ記念碑建てたいと
言われ、代表の希望を無事行政に橋渡しが出来た
活動の継続は大変だろうが二本松の文化の創造、観光のために
頑張って欲しいと話されました。
あだち観光協会長服部さんです
合併前の安達町議会の議長まで務め
当時の菅沢町長支えてきた。
純愛通りの名称決めるときなど二つの候補から
一つを決めるため町四役で決めた裏話などはなされました
二本松商工会議所会頭、石沢孝さんは
観光は皆で町を盛り上げ全体を見て考えたい
少年隊、黒塚、智恵子生家など暗い面より
明るい部分に光りを当てて行きたい
花巻市とももっと連携を図りたいがどうしても宮沢賢治に
重点が行っているようだがもっと二本松市しても
連携重視したい。智恵子生家の入場者は増えているが
大山忠作記念館などとの協力も考えて、こんごお盆休みに
きたが休みだったと言われないよう
地域内の観光協会と一緒に活動を勧め
夢くらぶの考えている街作りに協力したいと話されました。
ギタリスト宮川菊佳さんの紹介で
朗読会の事紹介しました。そしてどのように
アナウンサーと朗読会したか、初めての智恵子抄全編の朗読会
その練習の模様など代表から話され
そのごご本人から、スピーチしてもらいました
30年程前当地で演奏したが高速道もなく新幹線もなく
印象深い。その後二曲ほど演奏を披露しました。
もう少し紹介するとクラシックギターをスペインで毎年
ホセ・ルイス・ゴンサレスに師事
また、1988年に「ギターと朗読の世界」の集大成ともいうべき朗読芝居としての作品、
「智恵子抄~高村光太郎の世界~」を発表しております。
今回演奏された曲聞けます!
会員からもスピーチありました
菅野チエ子さんから当初多くの企画があり、さらに
お客さんが来てくれるか不安があったけれど、こうしてここまで
来たことに感激、司会の大役二度もできて
もっと上手に出来るよう皆さんに感謝したい。
次は遠路駆け付けた
大野正美さんは白河で
定年退職後仲間作りに、教室作りに役立つと思って書を始めた
今年は大きな作品をと思い夢を持ち、大きな屏風に
光太郎の詩を書いてみたかった。今年は小さいが(障子一枚)
詩集「道程」を書き上げ白河市の総合文化祭にも
特別出展され、純愛コンサートでも会場入口で見てもらいました。
とくにタイトルを智恵子生誕100周年記念などと長たらしい名前を
考えいくらかでも智恵子、光太郎の宣伝出来たかと思っていると
話されました。
次は斉藤恭子さんです
朗読会をやっているが光太郎の作品は勉強してからと思い入会したが
皆さんの熱気に圧倒された。とても続けられないと思ったが
皆さんの協力もあり続けられた。光太郎の詩は難しいが
これからも続けて行きたいとありました。
大石裕子さんは今年初めて
女川・仙台の旅に参加したが出掛ける直前に
盛岡で光太郎の手紙展がある事知り、途中の仙台で皆さんと別れ
脚を伸ばした。
花巻山荘へも廻ったがタクシーの運転手は色々話してくれた。
智恵子展望台のイメージは少し違ったが
高村規氏の光りの写真に心奪われた。
帰りは徒歩で帰ったが降る雨も、天からのうれし涙と思った。
茅原さんからは
教師を辞めてから子ども達に読み聞かせやっている。
小学校の教科書に『ごん狐』の話しが載っているが
いつか作者の生地、訪ねたいと思っていた。
念願叶い行って見て
彼岸花も咲いていたが規模が大きく記念館近くには
南吉の幟がはためき、ちょうどそのお祭りも
やっているようで、町全体で取り組んでいること強く感じた。
と話されました。
木村純子さんは
代表に勧められ「イヨマンテの夜」歌いました。
この歌、歌った伊藤久男氏の姪に当たるそうです。
自身79才になりましたが、これからも新聞投稿に
メンバーのみなさんと交流したいとありました。
最後は私に指名来ましたが
私は夢くらぶの勝手なIT部門の広報担当として
ホームページ作成し管理している事伝えました。
最後に星さんへバトン渡しました。
この会は家内と参加した。39年の教職やめてから第二の人生は
恩でお返ししようと相馬野馬追の武者を20年間やった。
サーフィンもやったが今は年二回沖縄でダイビングを楽しんでいる
82才になったが私より上の人はいない
第三の人生は新たに宮沢賢治の会をつくり会長もやっている
目立つことをやって100才まで生きたいとありました。
その後時間に追われるように一分スピーチになりましたが
松本美男さんはこの地を40年近く離れていたが
これからも活動よろしくとありました。
星玲子さん杖を付いての参加だが
これからもよろしくとお話しされました。
大内さんはこの会を引っ張ってくれた
熊谷夫妻に感謝します。これからもよろしと申されました。
手締めはレモン会会長の渡辺さんで
記念パーテイにふさわしい楽しい時間を有意義に過ごせたと
三本〆で一緒に元気に締めました
最後のお開きの挨拶は
佐藤吉郎さんぎりぎりの時間迫る中
智恵子抄全員で歌い最後となりました。